日々、大勢の新しい仲間がジョインするSHIFT。そのなかには、一度は退職しながらも、再び仲間として戻り、活躍する「カムバックメンバー」も少なくありません。
本記事の主人公、高瀬も、そのひとり。
札幌オフィスに所属し、自動化領域のプロフェッショナルとして活躍する彼は、2018年に一度SHIFTを卒業。しかし、2022年にはSHIFTに帰ってきてくれました。
なぜ彼は一度SHIFTを飛び出し、そして再び戻る決意をしたのか?その理由に迫りたいと思います。
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DevOps推進1グループ 高瀬
1987年生まれ。地元北海道の情報系大学を中退後、2013年にSHIFT入社し、札幌オフィスで勤務。2015年に正社員登用となるも、2018年、函館への引っ越しを機に退職。函館で別の会社に勤めるが、2020年SHIFTに復帰。現在に至る。
目次
アルバイトから正社員へ。その後、退職したワケ
――過去をさかのぼる前に、現在のお仕事を教えてください。
高瀬:DevOps推進1グループという自動化技術に特化したチームに所属し、PM兼アーキテクトを務めています。
お客様の業務や要望をヒアリングしたうえで、自動化の青写真を作成。SHIFTがもつ「racine(ラシーヌ)」という自動化ツールを使って、それを実現するのが仕事です。
生まれ故郷でもある北海道の札幌オフィスに所属していますが、お客様は東京や大阪などの企業が多いですね。
プロジェクトメンバーも札幌はもちろん、東名阪、北陸や四国など実に多彩です。北海道にいながら、全国各地とつながりながら仕事に向きあっている実感があります。
――そのように活躍されている高瀬さんですが、過去に一度SHIFTを退職。2年前に戻られたそうですね。
高瀬:はい。もともと私は25歳のときアルバイトとしてSHIFTに入社し、札幌オフィスで勤務していました。
その後、契約社員を経て正社員に登用され、合計5年間ほど勤めたのちに一度SHIFTを離れていたんですよ。
――そのユニークな経緯を詳しく伺いたいのですが、まずはじめの入社当時のことから教えてください。
アルバイトとして入社後はスマホアプリの検証やECサイトの検証など、テスト実行・設計から手がけました。システムの裏側を見られて面白かったですね。
途中、ブラウザ画面の記録と操作ができるSelenium IDEを使った自動化の案件があって、のめり込みました。新しい領域でしたし、技術的にもおもしろく、とても興味深かった。
――当時から、自動化領域にたずさわっていたのですね。
高瀬:はい。結果としてそれが正社員登用につながりました。「自動化、興味ありそうだね」と当時の案件管理者にいわれたことを覚えています。
そして「このまま契約社員にならないか?」「この部署で正社員になる気は?」と勧められて、立場を変えたんです。
「いつかは正社員に!」とキャリアビジョンが最初からあったわけではなかったんですけどね。仕事は自分にあっていたし、札幌オフィスの人や雰囲気がよかったことも後押しになりました。
――札幌オフィスは、どのような雰囲気だったのでしょう?
高瀬:いまから10年前なのでSHIFT自体まだまだベンチャーというかスタートアップのような感じが残っていました。仕事がハードなときもありましたが、和気あいあいと仕事をしていました。
当時からゲームやスポーツのサークルみたいなものがあったり、一方で新しい言語に関して勉強しあう空気もしっかりあったり。自動化などのホットな領域の前線に身を置けたのは、恵まれていました。
――聞けば聞くほど、一度退職されたのは、もったいない気がしてきます。退職された理由はなんだったのでしょう?
高瀬:きっかけは家庭の事情。そのころ、妻が体調を崩したことだったんです。
2年を経て変わっていたこと、変わらなかったこと
――ご家族の看病のために、退職せざるを得なかった?
高瀬:看病というより環境を変えたかったのです。札幌の都市部のマンションに住んでいましたが、心を整えるために自然豊かな場所に引っ越して静かに暮らしたほうがいいと考えました。
もっとも、SHIFTとそこでの仕事は本当に気に入っていたので「できればリモートワークで働きたい」と申し出たのですが、当時2018年のころは、コロナ禍前で、まだリモートワークの環境が整っていなかったんです。
いろいろと調整もしてもらい、最後まで留意もされたのですが、折りあいがつかず。やはり家族のことが第一でしたので、仕方なく退職しました。
――なるほど。その後はどちらへ?
高瀬:札幌から函館へ引っ越し、そこで見つけたシステム開発を手がける小さな会社に入りました。親会社が自然エネルギーなどを手がけていて、発電システムの保守運用管理などを担当しました。
――そこでのお仕事はいかがでした?
高瀬:仕事内容もSHIFTとは違うので一概にはいえませんが、節々にギャップを感じましたね。
まず規模が違った。SHIFTでは私がいたチームだけでも全国に100人を超えるメンバーがいましたが、転職先企業は10人程度。体制的にも制度的にも未熟で、働きづらさを感じることは多かったですね。当然、給料も下がりました。
「まあ、仕方ないよな」とあきらめていたのですが、2020年のコロナ禍で状況が変わりまして。
――コロナ禍がどのような影響を?
高瀬:そのタイミングで転職先企業の業績が傾いてしまったのです。また、その会社は暗号資産のマイニングなども手がけていて、暗号資産が急落するタイミングとも重なりました。
その結果、人員が整理されて、私も会社都合で解雇されたのです。
――なるほど。思わぬ形でスピンアウトされたのですね。そこですぐに「SHIFTに戻ろう」と思われたのでしょうか?
高瀬:まずは「札幌に戻ろう」と最初に思いつきました。妻の体調を考えて、函館に引っ越しましたが、思ったほど改善しなかったこと。「それならば札幌の郊外でもよかったね」と彼女とも話していましたから。
それで、SHIFTの札幌拠点に戻りたいと考えたのです。一度、外に出たことでSHIFTが本当に働きやすくて、待遇面でも恵まれた、いい環境であることを実感していましたからね。
幸いにも、関係性のいい形でやめさせていただいていたので、前の上長に「私の居場所はまだありますか?」とLINEを送ることからはじめました。
――そして、すんなり「戻ってこい」と?
高瀬:そうですね。実はその上長は部署が異動になっていたのですが、「以前、高瀬がいた部署にぜひ」といわれました。私もその方も、できれば残りたい、残したいと考えて離れた仲でしたからね。
そうして、あらためて面接も受けたうえで、約2年ぶりに札幌に戻ったのです。
今度は市内の中心部ではなく、郊外に一戸建てを購入。妻も静かに過ごせるようにしたうえで、札幌オフィスに復帰しました。
――2年ぶりに前の職場に戻る、不安はなかったでしょうか?
高瀬:不思議となかったです。上長とのやりとりと、その後のカジュアル面談でもウェルカムな雰囲気があったことは、心理的に大きかったと思います。
またこの2年で従業員数が増え、規模も大きくなったとはいえ、以前と同じ顔ぶれのメンバーも揃っていましたしね。フレンドリーな感じも変わっていませんでした。
業務後にカフェスペースでボードゲームしていたり、ダーツをしていたりと、交流を深めるための設備は以前より充実していましたが(笑)。
――そのほか、変わっていて驚いたことは?
高瀬:むしろ「変わらなくて驚いた」ことがありましたね。
私がかつて立ち上げた仕事の多くが継続して残っていたこと。私が設計フェーズで立ち上げた案件が、運用支援でずっとつづいていたり、ほかのサービスのクロスセルで広がっていたり、といった具合です。
うれしかったし、お客様の信頼を勝ち得て成長しているSHIFTの底力を感じました。
――一度離れたからこそ、あらためてSHIFTのよさが気づけた面もありそうですね。
高瀬:それは本当に実感しています。飛び出さないままであったら気づけなかったと思います。一度離れたこともムダじゃなかったと思えるからこそ、前以上に、仕事に没頭できているのかもしれません。
――その意味では、カムバックメンバーになる、出戻りするのはオススメでしょうか?
高瀬:そう思います。特にいまは私がやめた2018年ごろと違って在宅で働く方も多い。離れていても、どこのオフィスからでも、気持ちよく働ける環境が整備されていますからね。
もし私と似たような経緯で、会社を飛び出さざるを得なかった方がいたら、いまいる場所でまた復帰し、同じプロジェクトに携わることもしやすいでしょうしね。
――そのとおりですね。最後に、今後、SHIFTで実現したい夢や目標はありますか?
高瀬:これもSHIFTのいい面だと思うのですが、仕事を積みあげるうちに自然とスキルアップができている。
今後もキャリアをこのまま進めて、スキルも立ち位置も、もうちょっとうえを目指していきたいなと思います。あとは最近顔を出していない社内の部活にも、たまには参加したいですね(笑)。
(※本記事の内容および取材対象者の所属は、公開当時のものです)