きのこカンファレンス 2026 登壇レポート
エンジニア歴19年。
ベテランとして経験を重ねてきた髙橋。しかし彼は自分のことをエンジニアだと名乗ることに強い後ろめたさを抱えていたといいます。
その理由は、経験やスキル不足ではありませんでした。SESや準委任契約のもとで数多くの案件に携わりながらも、どのようなエンジニアでありたいのかという軸を見出せずにいたのです。
本記事では、「きのこカンファレンス 2026」での講演「40代でやっとエンジニアになれた。扉を開き、空の青さを知る」の内容をレポート。
ある新規プロダクト開発での挫折をきっかけに外の世界へ飛び出し、自分なりのエンジニアとしての軸を見つけていった髙橋の軌跡を紹介します。
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製造ソリューションサービス部 髙橋 直規
エンジニアやPM、サービスマネージャー※として、さまざまなシステム開発案件などに携わった後、アジャイルを専門的に扱うために、3社目として2023年3月SHIFTに入社。現在は、SHIFTの「アジャイル」にまつわるさまざまな案件に入り、プロジェクトマネジメントから実務となるエンジニアリングまで、幅広い領域でアジャイルサービスの浸透/普及に従事している。
※複数案件を管理し、滞りなくサービス提供ができるよう責任を担う立場。
目次
契約と納期に向き合いつづけた19年
私が長年自分をエンジニアだと思えなかった最大の理由は、契約やプロジェクトという閉じた環境のなかで働いていたことにあると思っています。
20代のころはSES、30代以降は準委任契約という働き方で開発に携わってきました。
そこでは、お客様から求められた役割や工程のなかで成果を出し、次の契約につなげていくことが求められます。
私自身も、自分がどうありたいかを考えるより、期待された成果を出すことに意識が向いていました。
これまで24案件に携わり、多くの開発現場を経験してきました。短い案件では2ヶ月ほどで次の現場へ移ることもあり、都度必要な知識や技術を学んできました。
資格も19個取得しましたが、各現場で得たスキルが次の現場でも活用できるとは限りません。
経験は増えていく一方で、それらが一本の線としてつながる感覚をもてずにいました。
30代前半のころには、ドメイン駆動設計(DDD)やエクストリームプログラミング(XP)といった開発手法にも強い憧れを抱いていました。
ただ、当時の私にはそれらが遠い世界の話に見えていました。
DDDもXPもプロダクトやチームを成長させていくための手法なので、契約や工程ごとに役割が区切られる自身の環境との接点を見いだせなかったのです。
同じように、勉強会やカンファレンスに参加しているエンジニアたちも遠い存在に見えていました。
専門性が高いこともそうですが、それ以上に、技術やエンジニアリングに対して自分なりの軸をもっているように見えました。
一方の私はエンジニアリングそのものよりも、与えられた役割で成果を出すことに意識が向いていました。
その結果、私は40歳を超えるまで、自分をエンジニアと呼ぶことに後ろめたさを感じつづけていました。
新規プロダクト開発の成功の裏にある失敗
そんな私が変わる転機となったのは、40代になって参画した、ある新規プロダクト開発プロジェクトでした。
プロジェクト自体は無事にリリースできたものの、その裏には大きな失敗がありました。
私はPMを務めながら、プロダクトオーナーアシスタント、スクラムマスター、さらにはQAリードまで、重要な役割をすべて自分一人で抱え込んでいました。
権限を委譲できず、自身の高稼働によって何とかリリースまでたどり着いた結果、強い属人化を生み出してしまったのです。
さらに効率化を目的に、チームを「仕様策定チーム」「実装チーム」「QAチーム」の3つに細分化しました。
仕様策定チームが考えたものを実装チームがつくり、その成果物をQAチームが検証する。
一見すると合理的な体制でしたが、その結果、知識や判断が特定のメンバーへ集中し、チーム全体でプロダクトに向き合う機会を阻害してしまったのです。
最終的にプロジェクトは成功し、お客様にも納得いただくことができました。しかし私のなかに残ったのは達成感よりも、そのやり方に再現性がないという強い危機感でした。
プロジェクトは終わっても、プロダクトの成長はつづいていきます。それにもかかわらず、属人化やチームの分断によって、リリース後のプロダクト成長に大きな課題を残してしまったのではないか。
そう考えたとき、私のなかには大きな苦しさが残りました。
「プロジェクトの成功が、必ずしもプロダクトの成功ではない」。この痛切な気づきから、私はリリース後もつづくプロダクトの成長に向き合えるエンジニアでありたいと思うようになりました。
遠い世界は地つづきだった。40代で知ったエンジニアの世界
プロダクト成長に向き合うエンジニアリングの経験がないため、自分の環境を飛び出して、勉強会やカンファレンスへ参加するようになりました。
誰かに求められたからではなく、自分が実現したいことを見つけるためです。そこで私は知ったつもりになっていたことを基礎から学び直しました。
アジャイル、プロダクトマネジメント、QA、SRE、さらにはAI技術まで、自分の役割にとらわれずあらゆる領域の話を聞きに行きました。そこには、異なる開発組織や企業で挑戦をつづけるエンジニアたちがいました。
彼らとの交流を通じて、私は自分の見えていた世界の狭さを知り、同時に、外の世界にはどれほど豊かな知識と選択肢が広がっているかを知りました。
なかでも大きかったのは、自分が知っているつもりだったDevOpsやスクラムを学び直したことです。
役割の分断をなくし、チーム全体で価値を届けるという考え方に触れたとき、自分が進めていたチームの分断や役割の抱え込みが、まさにアンチパターンとして語られていることを知りました。
そして、この外の世界への越境を通じて得た最大の気づきは、かつて私が遠い世界だと思っていたものが、実は自分の環境と地つづきだったということです。
さまざまな人と話すうちに、どんな環境にもそれぞれの前提条件や壁があることがわかりました。大切なのは、その環境のなかで「自分は何を選び、何に挑戦するか」だったのです。
私の世界は決して孤立していたわけではありません。自ら挑戦することで、足元の環境からでも世界を変える一歩を踏み出せるのだと確信しました。
エンジニアリングへのオーナーシップを取り戻す
外の世界で得た学びは、私の行動を大きく変えました。その知見を自身の環境へもち帰り、実践するようになったのです。
もちろん、外で知った手法をそのまま持ち込んですぐに成功するほど甘くはありません。
しかし、自分の置かれた環境で「実現したいもの」を探索し、試行錯誤を繰り返すこと自体に大きな価値があることに気づいたのです。
その挑戦のプロセスが、私自身の環境を少しずつ豊かにしていきました。
かつての私は、契約や与えられた役割という枠組みのなかでしか、自分を定義することができませんでした。
しかし外の人たちとの交流によって自分を相対化できたいま、私は置かれた環境や与えられた役割ではなく、「何を実現したいか」を起点に自らを考えられるようになりました。
この結果、役割に閉じず、何に向き合いたいかを考えることができました。
そして世界が広がったことで、これまで断片的だと思っていた経験や、属人化を招いた苦い失敗のなかにも価値を見いだせるようになったのです。
エンジニアとしてのオーナーシップは、何歳からでももつことができます。私は40歳を過ぎてから、ようやく自分のことをエンジニアだと胸を張っていえるようになりました。
「いまから、ここからでも」。自分自身のあり方は更新していけると思っています。
(※本記事の内容および取材対象者の所属は、イベント開催当時のものです)