なぜトラブル対応の夜はあんなにも熱いのか?『災害ユートピア』から読み解くアジャイルの本質 Regional Scrum Gathering Tokyo 2026登壇レポート

2026/04/22

2026年1月6日から9日にかけてRegional Scrum Gathering Tokyo 2026が開催されました。

同イベントのゴールドスポンサーを務めたSHIFTからは、AIアジャイル開発部 部長の秋葉 啓充が「あの夜、私たちは「人間」に戻った。 ── 災害ユートピア、贈与、そしてアジャイルの再構築」と題したセッションで登壇。 

スクラムの型通りに進めているはずなのに、チームに活気がない。そんな「形骸化したアジャイル」に悩む現場は少なくありません。  

かつて人文学を学んでいた秋葉。エンジニアに転身した当初は「哲学など役に立たない」と考えていましたが、現場の壁にぶつかるたび、救いとなったのは先人たちが遺した知恵でした。 

なぜ管理を強めるほど自律性は失われるのか。どうすればメンバーの「内なる火」を灯せるのか。

『災害ユートピア』や『贈与論』といった書籍を通じて得た学びをもとに、私たちが「人間」として繋がれるチームづくりの処方箋を提示します。

同イベントに登壇した森 一樹のイベントレポートも、ぜひご一読ください。

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  • AIアジャイル開発部 部長 秋葉 啓充

    大手SIerに入社し、エンジニアとしてキャリアスタート。システム企画コンサルや全社生産計画システム開発のPMを歴任。DX・アジャイル開発を経験すべく、友人のベンチャー企業で2年ほど勤めた後、2020年、SHIFTに入社。コンサル、スクラムマスター、インフラアーキテクト、自動化PM、エンジニアリングマネージャーを経験し、2025年3月から現職。

「トラブルの夜」にだけ現れる、理想的なチームの姿

システムトラブルが起きたとき、現場に不思議な一体感が生まれるのを感じたことはありませんか? 

全員がホワイトボードの前に集まり、インフラやアプリの状況を整理し、役割分担の垣根を超えて仮説を出しあう。普段は厳しい先輩が頼もしくなり、上司がメンバーのために差し入れをしてくれる。

内職をする人はおらず、全員が事態の収拾という一つの目的に向かって、「私」ではなく「私たち」として動く。 

私はこれに、理想のチームの姿を見出しています。言い換えるなら、アジャイル開発の場で望ましい「真に自律的なチーム」です。あの空気感が、非常に好ましいと思います。 

ですが、この理想のチームは平時ではなかなか見られません。かつて、私は「アジャイル開発の現場にシステムトラブルが発生したとき」のような理想のチームの姿を期待していました。

カンバンボードを囲み、仮説検証と同じように実験と学習を繰り返す、自己組織化されたチームがあると思っていました。

ですが、スクラムやアジャイルの作法に従ってそれらを行っていたとしても、そこには熱がないことが少なくありません。 

つまり、平時の現場は教科書通りに進めるだけの形骸化した状態に陥りがちなのです。

『災害ユートピア』が解き明かす、管理(ノモス)と本能(ピュシス)の境界線

平時でも、理想のチームでありつづけることはできないかと考えていたとき、私はレベッカ・ソルニットの著書『災害ユートピア』に出会いました。 

これは、1906年のサンフランシスコ地震や2005年のハリケーン「カトリーナ」など、歴史的な災害の発生時において、人々はパニックや暴動を起こすのではなく、実は自発的に助けあい、即席のコミュニティをつくっていたという事実を記したルポルタージュです。 

同著にて、ソルニットは「混乱を生んだのは災害ではなく、恐怖に基づく統治だった」と述べています。

管理する側(統治者)は「性悪説」に基づいて略奪を恐れましたが、現場の人々は「性善説」に基づいて互助的な行動をとっていたのです。 

権威が解け、評価が消え、役職が無意味になり、贈与と互助が主な経済になる。この状態を社会学者のエミール・デュルケムは「集合的沸騰(Collective Effervescence)」と呼びました。 

個人の境界が薄れ、集団としての高揚感のなかで一体となって動く状態。エンジニアなら感じたことのある「システムトラブル時の感覚や高揚感」は、まさにこの集合的沸騰状態といえるでしょう。

なぜ、開発の話に社会学や哲学の話を持ち出してきたのかと思われる方もいらっしゃるでしょう。 

実は私は大学院で哲学や社会学、文化人類学を学び、研究者としての道を考えていた人間なのです。しかし、当時はこうした領域への助成金も少なく、将来への不安からエンジニアへと転身します。

そのとき「人文学の本は役に立たない」と捨ててしまいましたが、現場経験を重ねるにつれ、人間関係やコミュニケーションが重要であることに気づいたのです。 

例えば、チームの状態は、古代ギリシャの哲学概念である「ノモス」と「ピュシス」を用いて説明することができます。 

・ノモス:社会や国家がつくり出した法律、制度、秩序 

・ピュシス:人間が本来もっている自然的な性質や本能 

私たちの日常は、整備されたノモス(下記スライドの青いグリッド部分)のなかで営まれています。会社組織におけるルール、役職、評価制度、そしてアジャイルのフレームワーク自体も、このノモスに該当します。

災害やシステムトラブルは、この強固なノモスを破壊します。 

グリッドが壊れ、裂け目ができたとき、そこから「ピュシス(人間本来の温かさ)」が溢れ出します。役職やルールの縛りが消え、目の前の人を助けたいという本能的な連帯感が生まれるのです。

これが災害ユートピアの正体であり、トラブル対応時に感じる一体感の源泉です。

贈与の循環が、冷え切った組織に体温を取り戻す

しかし、ソルニットが指摘するように、災害ユートピアは永続しません。状況が落ち着けば、必ずノモスが再構築され、ピュシスは再び隠されてしまいます。

非日常に頼らず、日常のなかでピュシスを引き出す方法はないのでしょうか。 

そのヒントは文化人類学にありました。 

マルセル・モースは『贈与論』において、人間関係は「贈与・受領・返礼」の義務によって編まれると説きました。金銭的な等価交換ではなく、贈り物を介した「貸し借り」の関係こそが、人と人との絆を深めるという考え方です。

アジャイルコーチが現場に入る際、契約(金銭)以上の何かを与えることで信頼関係を築くように、ビジネスライクな関係に贈与の要素を持ち込むことで、チームの空気を変えることができます。 

ここでの贈与とは、必ずしも物を授受する必要はありません。知識、時間、手助け、感謝、賞賛も立派な贈与です。

これらを応用して、意図的にチーム内で循環させることで、制度(ノモス)の隙間に人間的なつながり(ピュシス)を生み出すことができるのではないか。

そう考え実際にやってみたことをご紹介します。

朝会での「愚痴にも拍手」ルールが起こしたポジティブな変化

私が担当したあるプリセールスチームでは、淡々と行われる朝会が課題でした。そこで導入したのが24時間以内にあったよいことを話す「Good & New」というワークです。しかし、毎日よいことばかりはつづきません。 

そこでルールを変更しました。「何を話してもいい。愚痴でもいい。ただし、最後は全員で拍手をする」というルールです。 

すると、愚痴をこぼしながらも「最後まで頑張ってみた」という前向きな感情への進展が見受けられはじめました。拍手という小さな一つの贈与が、チームの雰囲気を変えたのです。 

ここで言いたいのは、制度そのものが悪いのではなく、それが人間関係よりも肥大化してしまうことが問題だということです。

ノモスが先かピュシスが先かといった議論は古代ギリシャから今日まで延々と続けられている議論です。つまり、こういった対立はどちらか一方に正解があるわけではないということがよくわかります。 

災害ユートピアは永続しません。だからといって、すべてをノモスに委ね、制度を回すこと自体を目的化してしまえば、チームの活力は失われます。そのなかでいかに「内なる火」を灯すか。

形式的な朝会に拍手といった人間的な体温を吹き込むような工夫が、一体感のあるチームづくりには不可欠だと考えています。 

日常を飛び出し、チームで「カーニバル」を共有しよう

「災害ユートピアは意図的に起こせるものではない」。と、私は結論づけていました。しかし、このカンファレンス(RSGT)に参加するなかで、その考えは覆されました。 

災害そのものは起こしてはいけませんが、人類は古来より、意図的に非日常をつくり出す装置を持っていました。それが「カーニバル(祝祭)」です。 

災害には、カーニバル的な側面があります。両者は性質こそ異なりますが、既存の秩序を一時的に無効化し、人と人を直接繋ぐという点で、よく似た機能をもっています。 

ロシアの文芸家であるミハイル・バフチンによれば、カーニバルとは「確立された秩序からの一時的な解放」であり、階層や身分が取り払われ、純粋に人間的な関係が生まれ変わる場です。 

現代において、この役割を果たすのがテックカンファレンスや社内イベントです。そこでは、普段の役職や上下関係(ノモス)が薄れ、同じテーマに関心をもつ仲間同士の交流が生まれます。 

RSGTで行われた寸劇やワークショップでは、参加者の間に明確な権威は存在せず、会場全体が一体感に包まれていました。普段の業務というノモスから解放され、ともに学び楽しむというピュシスが共有された瞬間です。 

このようなカーニバルを経験している組織は、いざという時の危機(災害)にも強い耐性をもつはずです。

そこで、私は「カーニバルに、普段は壁を感じている上司やチームメンバーを巻き込むことで、日常に熱狂をもち帰れるのではないか」と考えました。 

通常、カンファレンスには代表者一人が参加し、知見をもち帰ることが多いでしょう。しかし、それでは会場の熱までは伝わりません。一体感を共有したい相手、あるいは打破したい壁がある相手(上司や他部署の人)こそ、カーニバルの場に連れ出し、同じ釜の飯を食い(共食)、同じ体験を共有する。 

そうしてつくられた原体験こそが、日常に戻った後のチームの関係性を変える種火となるのだと考えています。

(※本記事の内容および対象者の所属は、イベント開催当時のものです)



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