2025年9月25日、広く「プロダクトづくり」全般を愛する人たちのコミュニティイベント「DevLOVE関西」が開催されました。
今回のテーマは、「アウトプットを通じて変わったこと、人との出会いを通じて変わったこと」。
本記事では、「一歩踏み出すだけで、世界は変わる」と題してふりかえり&アジャイルエバンジェリスト 森一樹(びば)が登壇した内容をお届けします。
メンバーにもっと広い世界を見てほしいと思ったことのあるマネージャー、または、自分を変えたいと思っているエンジニアの方は多いのではないでしょうか。
自身も歯がゆい思いをしたと語る森、彼が「ふりかえり&アジャイルエバンジェリスト」になるまでの軌跡とは。
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ふりかえり&アジャイルエバンジェリスト 森一樹(びば)
黄色いふりかえりの人。みんなに強化魔法をかける人。野村総合研究所にてプロジェクトマネジメントや組織変革を推進し、プロダクトマネージャとしての経験を経て、2025年にSHIFTに入社。社内外へのアジャイル教育や、ふりかえりの啓蒙から、社内各部署や他社との連動など、支援の幅を広げ活動中。著書に「アジャイルなチームをつくるふりかえりガイドブック」など。
目次
「恩送り」の世界観に衝撃をうけた、アジャイルとの出会い
私がアジャイルに出会ったのは、2017年4月のことです。新卒で入社した会社でプロジェクトマネージャー(PM)としてのキャリアを歩んでいた私は、先輩と株式会社ヴァル研究所を訪れました。
当時、ヴァル研究所では「開発現場見学ツアー」を行なっていました。すべての部屋の壁一面にはカンバンや付箋が貼られていて、さまざまな立場の人がそれを使いながら和気あいあいと働いていました。
同社の新井剛氏に、私たちのような社外の人間が参加できるツアーをなぜ毎週のように開催する熱量があるのかと聞いてみたところ、「さまざまなコミュニティから得てきた知識を会社に、ひいては日本全体に広げて、『恩送り』していきたいんです」とおっしゃっていて、目の覚めるような思いでした。
そんな世界を自社でも実現したいと思いましたが、何をしたらいいのかがわからず、まだ一歩踏み出すことができずにいました。
そこからアジャイルを本格的に学びはじめて、2017年5月に江端 一将氏の認定スクラムマスター研修を受けたんです。
当時の江端氏は研修の様子を見て、資格取得の資格がないと判断した人には資格取得案内を送らない方針でした。研修を受けた約30人のうち大多数からは、資格取得できたとの報告があがるなか、私には連絡がこなかった。
いまふりかえると、私のふるまいは、スクラムマスターに求められるサーバントリーダーのそれではなく、炎上対応のプロジェクトマネージャー、つまり非常時のコマンド&コントロール型だったんです。
ただ当時の私は、研修のなかでもがむしゃらに頑張って動いたつもりでしたし、自分の培ってきたものを全部ぶつけたつもりでした。自分の仕事とキャリアすべてが否定された気がして、生まれてはじめて悔し涙を流しました。
どうすればいいのか、打開策がまったくわかりませんでした。その後は、社内でがむしゃらにアジャイルプラクティスを実践しつづけました。
エクストリームプログラミング(XP)やスクラム、カンバン、インセプションデッキ、レトロスペクティブなど、書籍やコーチから知識を得て、トライアンドエラーを繰り返しました。
外から眺める人から、“自分でつくる”人へ
そんななかで、転機が訪れました。当時の私のアジャイルコーチ、森實 繁樹氏との出会いです。
そのとき私はヴァル研究所を真似て、会議室を貸し切ってカンバンや情報ラジエーター、バーンダウンチャートなどをたくさんつくったり壁に貼ったりしていました。
勤務時間表をつくったこともありましたし、カンバンを1ヶ月でバージョン1.0から2.0に進化させたこともありました。毎週のように、チームが作業しやすい環境へとどんどん変えていったんです。
すると、森實氏がその様子をFacebookに載せて、「カンバンを1週間に一度ドラスティックに変えて改善しているのが、本当にすごい」とコメントしてくれたんです。その投稿には、多くの人が反応してくれました。
その反応を見た森實氏は、私に「勉強会に登壇してみなよ」と言ってきたんです。そしてはじめて登壇したイベントが、8年前のDevLOVE関西でした。
当時は、「登壇って何?」「勉強会って何?」「お客様向けの資料はつくってきたけど、お客様ではない人に向けて発表するには?」など不安だらけでした。
そのとき私が話したのは、先ほど紹介したカンバンや情報ラジエーターなど、スクラムの取り組みについてです。本当に緊張しました。どう話したかなんてまったく覚えていません。
ふりかえってみれば、初出張に初宿泊、初勉強会、初登壇…すべて森實氏にお膳立てしてもらっていました。
いまの私があるのは、森實氏がDevLOVE関西に登壇するきっかけをつくってくれたからでもあるし、緊張する私の講演を、にこやかにうなずきながら聞いてくれる人がいたからでもあります。
その久保明氏は、8年前も、そしていまも、ここで聞いてくれています。いままで打ちのめされてきた私が、「人前で話をしてよかった」とはじめて認められた気がしたんですよね。
このときから、私の世界に少しずつ光が差しはじめました。
同時期に、私は別の勉強会にも自発的に参加していました。そのなかで出会ったのが高柳 謙氏です。
高柳氏は、「おでんの丸と三角と四角と線が書ければファシリテーションができる」と発表していて、好奇心が刺激されました。その後、高柳氏には1年ほどかけてファシリテーションを教えてもらいました。
もう1つ、出会いがありました。会場の後ろに置いてあった『チーム道で学ぶガルパン仕事術』や『カワイイ後輩の育て方』という技術同人誌の作者である稲山 文孝氏です。
稲山氏には、その勉強会の懇親会ではじめて声をかけてもらいました。稲山氏は、私の人生の師と呼ぶべき方です。
その後、あるイベントでDevLOVE関西の内容を再演することになりました。そのイベントではショートトーク会があり、そこに登壇したのが森實氏、高柳氏、稲山氏、私の4人だったんです。
しかも、全員黄色い服を着ていた。私も画像のなかでは黄色い服を着ていますが、当日に服を渡されて、その場で写真を撮りました(笑)。
私がバラバラに出会った人たちが、なぜかつながっている。これがすごく面白くて、「私もいっしょに何かできないですか?」と自分からも声をかけるようになりました。
「外で見ている」から「自分でつくる」へと立場が変わったんです。
「最悪の出会い」だったふりかえりが、人を笑顔にする楽しいものになるまで
それから発信をつづける間、私のなかでは変化の連続でした。いまでこそ「ふりかえりエバンジェリスト」を名乗っていますが、私とふりかえりの出会いは最悪でした。
あるプロジェクトが炎上して狭い部屋に缶詰めになりながら、ふりかえりの手法の1つ「KPT」でひたすら詰問される。Keepは1つもあがらず、多数のProblemに対するTryを提案するたびに詰められる。
その後たくさん出したTryは報告のためだけに出したもので、利用されない。何も変わらないじゃないかと絶望するような体験でした。
ですが、アジャイルと人との出会いが私のふりかえりを変えてくれました。さまざまな人から話を聞いて、私はアジャイルと名のつくすべてのプラクティスに本気で取り組みました。
ふりかえり手法も見直して、自分なりのファシリテーション方法を改善しました。1回60分のふりかえりのために90分かけて準備をして、その後90分かけてふりかえりをふりかえりました。
そうするうちに、いままでつらかったふりかえりが楽しいものになったんです。ふりかえるたびにみんなが笑顔になっていくし、楽しい現場になっていくのがわかったからです。
2017年10月には、社内イベントではじめてLT登壇しました。そしてその後の「私も、ふりかえりが大好きなんですよ」と言ってくれるた人と出会いました。
小田中育氏です。懇親会のなかで、彼とはひたすらふりかえりの話をしたのを覚えています。
そのとき、はじめて同志に出会った気持ちになりました。私が研究してきたふりかえりが肯定された気がして、ふりかえりのことがまた好きになりました。
本質は変わらずとも、世界の見え方が変わった
私の軌跡を2019年ごろにふりかえってみると、下図のようになりました。アジャイルとの出会いをきっかけに、輪が広がっている様子が伝わると思います。
私は、これまでコミュニティのなかで活躍する人を夜空に光る星のようだと思っていました。私はそれを地上から眺めていて、彼らには届かない。
ですが、こうやって書き起こしてみると、自分も彼らと同じ1つの星で、星座を形づくっていることに気づいたんです。
稲山氏から、「本を書くとしたら何の本?」っていわれて、「ふりかえりについてなら、たぶん書けると思います」と。とりあえず文章を書き殴ってみたら、36ページぐらい書けました。
それが「ふりかえり読本 場づくり編」っていう、ホチキス製本の技術同人誌で、コミケで20部完売しまして。すごくうれしかったのを覚えています。
そこから2年半にわたって、ふりかえりと組織を支える本を書いていたら合計1,000ページぐらいになっていました。
ふりかえりのことを発信すると、誰かからふりかえりについて相談されます。それをさらにふりかえって自分の血肉にして、また発信する。私自身がハブになって、ふりかえりの知識がどんどん集まっていきます。
その繰り返しで発信をつづけた2019年11月、金山 貴泰氏から「ふりかえりのポッドキャストに挑戦してみましょうよ」と誘われました。
試しに「ふりかえりam」をはじめてみたのですが、1時間にわたる収録を46エピソード分掲載し、合計6万回再生されていました。
また、2020年1月に開催された「Regional Scrum Gathering Tokyo 2020」に設置されていた「旅するAgile本箱」に、私の本を入れてもらえました。
何の本を本箱に入れたいかを会場の参加者にアンケートをとったいたのですが、私の本が好評だったんです。それで、株式会社翔泳社の岩切晃子氏が「商業誌を出そうよ」と言ってくれました。
2021年2月には書籍が刊行され、2~3万部程度売れました。いまでは現場で最初に読まれる本の1つになっていると思います。
稲山氏がこの経緯について、うれしいコメントをブログに掲載してくれました。これを読んで、私は思わず涙したくらい感激しました。
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実は、周囲のニーズに応えるために、「ふりかえりが好きな私」を演じていた時期がありました。しかし、いつしかふりかえりは私の体の一部になり、大好きなものになりました。
それでは、私は変われたのか、何者かになれたのか。3年ほど前に、「EQ診断」を受けたとき、「周囲への貢献に対する値が異様に高く、滅私、自己犠牲のような特性があります」といわれたことがあります。
思い返してみると、私は中学時代にネットゲームにはまっていたのですが、私はその多くを白魔導士(味方が倒れないよう強化魔法や回復魔法をかける存在)として過ごしました。
白魔導士は、ひとりでは弱い敵にも勝てません。ですが、パーティには欠かせない存在です。
昔から、私の本質は誰かの役に立つ、誰かの助けになる、誰かを支えることだったんです。
今日のテーマである、どうすれば自分や周囲を変えられるか?それは変えようと思って変えられるものではありません。20年間、私の本質も変わっていませんでした。ただ、世界の見え方は変わったんです。
これまで私は「何者かにならなければ」と思いつづけていながらも、心の底から打ち込みたいものがないことに焦りを感じていました。
脱却できたきっかけは、周囲のみんなが新しい世界を見せてくれたことと、そこから自分が一歩踏み出したことだと思います。
8年前もがいていた私は、周囲の星たちに照らされて、私という存在を肯定できたんです。そして、いまの「私」になりました。
いま、私の周囲には光り輝いている星がたくさんあります。そして、これから光ろうとしている星がたくさんあります。
私は、これまで多くの人から受けとったものを、私なりに増幅して伝えつづけます。「変わりたいけど、できない」と思っている人に、新しい世界を見せつづけたい。
一歩踏み出せば、世界は変わります。そして、世界の見え方も変わります。あなたも、輝く星空のうちのひとりなのだから。
(※本記事の内容および取材対象者の所属は、イベント開催当時のものです)