つねに前を向いて突き進むSHIFTでは、あまり過去を振り返ることはしません。
今回はグループ従業員1万人突破の記念に、特別にSHIFTの「礎」を築いた想いや出来事を語りあっていただきました。
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代表取締役社長 丹下 大
1974年広島県に生まれる。2000年京都大学大学院 工学研究科機械物理工学修了。株式会社インクス(現 SOLIZE株式会社)に入社。たった3名のコンサルティング部門を、5年で50億円、140人のコンサルティング部隊に成長させ、コンサルティング部門を牽引。2005年9月、コンサルティング部門マネージャーを経て、株式会社SHIFTを設立。代表取締役に就任。2019年10月、東証マザーズ市場から東証一部に市場を変更。「スマートな社会の実現」へ向け、社会インフラ企業を創るべく、SHIFTグループの企業フェーズ、企業価値をより高みへと導き、躍進をリード。
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取締役 小林 元也
2003年 東京工業大学大学院 理工学研究科修了。株式会社インクスに新卒入社し設計の標準化システム開発、超精密電子・精密自動車部品・精密光学機器の設計工程改善に携わりSHIFT参画。品質保証部で業務工程改善に従事したのち、ソフトウェアテスト事業を立ち上げ、事業部長として様々な管理案件に携わる。2014年以降、子会社を含むグループ会社の代表、また役員として事業管理全般を管掌。
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上席執行役員 兼 人事本部 本部長 菅原 要介
慶応義塾大学大学院 理工学研究科修了。株式会社インクス(現:SOLIZE株式会社)に新卒入社し製造業コンサルティングを経験後、2008年SHIFTに参画。品質保証事業を本格化する折に、大手Web制作会社QA部隊の組織化コンサルを手がける。その後、新規事業の立ち上げを経て、ビジネストランスフォーメーション事業本部全体の統轄に加え、採用・人事施策・人材マネジメントなど、SHIFTグループ全体の人事領域を管掌している。
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執行役員 兼 サービス&テクノロジー本部 本部長 真岡 佑介
早稲田大学理工学部卒業。株式会社インクス(現SOLIZE株式会社)に新卒入社し金属加工プロセス標準化・高速化コンサルティングを経験。2006年SHIFTに参画し、自動車部品メーカーの設計製造標準化 、原価低減プロジェクトにてコンサルタント、PLに従事。2012年よりソフトウェアテスト事業に転向し、金融系やエンタープライズ領域のPMを歴任。2016年にERP領域の組織長就任後は一貫してエンタープライズ領域の組織長に従事し2018年にはSAPビジネスを立ち上げを経験。2019年よりエンタープライズ産業・流通統轄部部長に就任し産業・流通・通信・自動車・ERPと幅広い領域を管掌している。
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執行役員 兼 広報IR部 部長 山路 亜紀
米国にてビジネスマーケティングの修士号を取得後、2008年SHIFTに入社。自動車部品メーカーにおいて、製造業のコンサルタントを経験。事業成長とともに、2013年にはSHIFTの広報部門を立ち上げ、2014年のマザーズ上場を機にIRも管轄する。以降、SHIFTの広報IRを統括し、SHIFTグループの幅広いステークホルダーへの発信、エンゲージメントに関する施策、ブランディングを広く管掌。2022年、執行役員として就任。
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社長室 室長 山梨 剛史
2004年東京理科大学大学院理学研究科(数学)修了。株式会社インクス(現 SOLIZE株式会社)でのコンサルタント経験を経て、2006年株式会社SHIFTに、創業者の丹下に続く2人目の社員として入社。創業期よりさまざまなサービスの立ち上げなどに関わり、現事業の基礎づくりを担った。SHIFT社長室長として、自社の成長を支えている。
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人事本部 人事総務統括部 統括部長 棚田 純大
2007年立命館大学文学部卒業後、衣料品メーカーの社長室にて経営企画業務を経験。 採用コンサルティングを行うベンチャー企業を経て、人材関連企業に入社。事業拡大に伴いHR部門強化のニーズがあったSHIFTに対して人事組織の立ち上げを支援。その後SHIFTに自らの身を投じ、2014年9月より現職。従業員10,000人を超えた今も、さらなる拡大プロセスにおける組織開発に現在進行形で関わる。
目次
肩を寄せあいながらテストをし、大きくなるために無我夢中だった
丹下:このランドコム(対談場所となった旧オフィス)は、SHIFTがテスト事業に振り切った場所、そして初心に帰ることができる場所。
東京タワーのすぐそばだし、内覧した瞬間、即決だった。家賃3万円の西大井にあるインキュベーションオフィスから、家賃が15倍もするここに引っ越すことを決断して、大きくSHIFTが動き出したよね。
小林:このランドコムは、元々コンサルティング事業をしていた場所。それをテストに振り切ったとき、テストセンターへといっきにオフィスの仕様を変えました。
なかでも仕様変更後にはじめて実施したマイスターの採用面接は、思い出深い。
エレベーターが開いて1人目の応募者が入ってきた瞬間、従業員のみんなで「ようこそ!!」って気持ちで迎え入れた記憶が鮮明に残っています。いよいよテスト事業が大きくなるなと実感して感動もしました。
山梨:毎日、ギュウギュウ状態の狭いオフィスでテストをしていましたが、テストが得意なマイスターを採用するために「CAT検定」をつくったり、モチベーションを上げるために1ポイントいくらというテストポイントを考えて出来高制にしたり、当初よりいろいろな工夫をしていました。
ただ、思うように進捗しなかった案件もあり「自分も努力するから、とにかくしっかりやっていこう」と切羽詰まっていた元也さんの姿は忘れられません。
当時は、みんな「何とかしないといけない」と、いま以上に無我夢中でした。
棚田:私が入社するのは少しあとになりますが、その当時も元也さんや菅原さん達のがむしゃらさはすごかった。この会社で「やってやろう!」と思って入社しましたが、ちょっと勝てないと感じたぐらいです。
丹下:ランドコムのころはいろいろ必死だったけど、みんなのハーモニーがあいはじめていたよね。新しいフェーズの幕開け的なワクワク感も大きかった。そういう初心は、これからも大切にしていきたい。
だから、ランドコムを借り直したんだよ。今後、入社研修のなかで、このランドコムでも研修をしてもらうつもり。
狭いなかで肩を寄せあいながらテストをし、どうにかしてテストで大きくなってやろうと、みんなで全力を尽くしていた。
そんなSHIFTの「初心」というものを研修では知ってもらいたいと思っているんだよ。
それぞれに過去があるからこそ、SHIFTの「いま」がある
山路:少し話は前後しますが、私が入社したのは、SHIFTがテストを本格的な事業とする前。
当時、ローンチに向け、企画・開発を進めていた「mife(マイフ)」という、携帯電話の位置情報に着目したモバイルサービスを広めたくて入社しました。
あのころは、まだSHIFTは主力サービスを探していた状態。そのような状況に、不安を感じる従業員がいたのも事実。
そのときに丹下さんが「俺が『この指とまれ!』をして、握ってくれたみんなを不幸にできない。幸せにしたい」と発言したんです。この発言を聞いて思ったのが、受け身ではいけないということ。
私の意志で丹下さんの指を握りにいっています。だから「勝負に勝とう」「みんなを幸せにしたい」とこんなに必死にもがいている人の足を引っ張るなんてありえない。そう考えて以来、会社や仕事がすべて自分事となりました。
菅原:実は、私も「mife」をやりたくて入社しているんです。しかし、入社してからすぐにコンサルタントとして3年間お客様先へ(笑)。
私がやりたかった「mife」は事業として収益が出ず、携わる前に終了しました。当時は自分達で新しい事業を自主的に考えようという「部活」もありましたね。
丹下:山路や菅原が入社したころ、10人ほどだった従業員をいっきに20人ぐらいに増やして、アクセルを踏んだんだよ。でも、12月25日に1月の給料がいくらになるだろうと計算したら、全員に払えないことがわかった。
これは、やばいなと。母親に借金の相談をしても断られ、はじめてお金を借りに銀行の新宿新都心店へ。しかし簡単にはお金は借りられない。さすがに何日も寝られなかったよね。
それで自分の車を売って補填し、どうにか年を越したのは、懐かしくも苦い思い出かな。
小林:あのころを振り返ると、自分はまだまだ1人で戦うタイプの人間でした。そのため、自分のキャパを広げない限り、仕事のキャパも広げられず、自分に限界を感じていたんです。
チーム力の必要性をわかっていながらも自分中心で考えてしまっていました。いかにみんなに力を発揮してもらうか。
大きく意識を変える努力をし、マネジメントしていったことで、チーム力を飛躍させることができた。それがいまでも教訓となって活きています。
真岡:たしかに、仲間に力を発揮してもらうためのマネジメント方法は経験から学びました。もちろん厳しいだけではだめで、ときには仲間にチャレンジしてもらうことも必要です。
つねにチャレンジングな環境があるということが、SHIFTの魅力でもあったりするわけですから。仲間にどのようにして正しくチャレンジをしてもらうかが、ずっと私のなかではテーマです。
菅原:「チャレンジした方がいい!」と、ちゃんと相手に伝えることも大切です。30代前半のころ、中途で40代、50代の方が入ってきて、その部下との対話に苦しんだ経験があります。
優しいマネジメントだけではなく、ときには相手にズバッと伝えて、しっかりと導いてあげるリーダーシップが必要なんだということを学びました。しかし、そのような過去があるからこそ、いまがあると思っています。
「この指とまれ!」で集まった人を絶対に裏切れない
丹下:SHIFTはたくさんの仲間を集めてここまできたけど、仲間を集める際に大切にしているのは「いい人」かどうか。ただ、SHIFTの「いい人」っていうのは、「信頼できる人」とはニュアンスが違う。
SHIFTが求める「いい人」は、プレッシャーをかけても前向きな人なんだよ。期待するからプレッシャーをかける。それを「素直かつ前向きにとらえ、それを楽しめる人」を求めてきたのはあるかもしれないよね。
山梨:「いい人」を求めつづけてきたからこそ、圧倒的に強いSHIFTになったと感じます。もともと少数精鋭でやってきましたが、丹下さんのある日の一言があったから、1万人という仲間が集まったと思うんです。
「アメリカ合衆国のような会社にしていく」っていう。みんないいところがあるから、才能を活かせるような環境をつくりたいし、そういう事業をつくりたい。だから、それぞれの州が自治権をもったアメリカのようにすると。
菅原:いま、まさにアメリカのように、さまざまな考え方、さまざまなバックグラウンドの人達がSHIFTに集まっています。そして、それぞれが責任をもって仕事に取り組んでいるからこそ「ONE-SHIFT」が成り立っている。
一人ひとりの仲間を尊重するという考え方は、いまも、これからも大切にしていかなくてはなりません。イベントや勉強会、部活など、仕事以外にたくさんの居場所をつくっているのも、そうした想いを形にしたものです。
山路:大きなことを成そうとしたとき、人は当然、1人では成し遂げられません。自分だけで何かできていると思ってはいけない。
SHIFTグループに集まった多様な仲間達と理解しあい、学びあうからこそ、ともに成長していける。
それが会社の成長にも繋がる。つねにそのようなことを思いながら、ワクワク感を1人でも多くの人達と共有し、SHIFTグループの未来に挑みつづけたいと考えています。
小林:私にとっても、仲間はいつのときも重要な存在です。このメンバーがいたから、いまもここに立ちつづけられていると思っています。1人では絶対に戦えなかった。
人はみんな得意なところもあれば、不得意なところもある。仲間と補いあうからこそ実現できていることは非常に多いのではないでしょうか。
真岡:そんな元也さんや菅原さんをはじめ、仲間に助けられた忘れられない思い出があります。プレイングマネージャーで一番きついとき、はじめてSHIFTを辞めようと思ったことがあったんです。
そのときは案件で福岡に長期間いたのですが、私の雰囲気を察してみんなが入れかわり立ちかわりフォローしてくれたことは、いまでも感謝しています。
棚田:この1万人という仲間を集めるまでには、本当にいろいろなことがありました。なかでも、私が印象深かったのは2017年に利益を削ってまで行ったハイスキル人材の採用です。
SHIFTのポジションを変えるためにバットを振り切った真意は、当時わかりませんでした。
しかし、勝つためにすべきこと、振り切るという真の意味を少しでも理解できるようになったいま、この出来事は私の人事に対する考え方に大きな影響を与えています。
丹下:山路が話してくれたけど、ずっと自分のなかで意識しているのは「この指とまれ!」っていい出したこと。
いい出しっぺの自分についてきてくれる人を絶対に裏切れないし、必ず幸せにしたいというのがあるんだよ。
ただマザーテレサのような無限の包容力まではないから、自分の力量を意識して、できることからやっていく。水を一番上から満たしていきながら、どんどん広げていくように。
イケイケドンドンのように見られるけど、自分の力量は根底で意識しつづけているかな。ただ、突き抜けたい。だから最初から勝つ勝負をしている。そうやって、みんなを幸せにするための勝負をいつもしていきたいよね!
(※本記事の内容は、取材当時のものです)