新卒でエンジニアの職に就いた後、27歳の若さでプロジェクトマネジメントの道へ。
この情報だけを聞くと、多くの人が「技術力は足りるの?」「まだはやいのでは?」と思うでしょう。と同時に「なぜプロジェクトマネジメントに振り切ることができたのか?」とも。
今回話を聞いたのは、大阪拠点の産業サービス1グループに所属するN.M.。27歳でエンジニアからプロジェクトマネジメントにキャリアを振り切り、転職活動をスタート。
逆境にも食らいつく強さと、圧倒的な勉強量、そして何よりも人と人を繋ぐコミュニケーション能力を武器にPMOとしての階段を上っています。
プロジェクトマネジメントの経験が浅いN.M.を信じ、チャレンジする環境を提供したSHIFT。その舞台で決して逃げず、ぶれずに、自分の信じるPMOを目指すN.M.に話を聞きました。
-
サービス&テクノロジー本部 産業流通サービス部 産業サービス1グループ N.M.
独立系SIerにて、金融業界をメインに開発、PMOなど、上流~下流工程まで幅広い業務を経験。コミュニケーションを活かしたマネジメントのキャリアを若手から積みたいとSHIFTへ転職。趣味は旅行とドラマ・映画鑑賞。キッチンドリンカー。
-
23歳
新卒で東京の独立系SIerへ入社
金融業界を中心に要件定義~テスト工程まで経験
-
27歳
SHIFTへ入社
Uターンで大阪で就職、テスト設計実行からスタート
-
28歳
SHIFTでPMO業務をスタート
始めは資料1つ作成することも苦戦しながら開始(笑)
-
30歳
2年担当したお客様を離れ、新しいお客様のPMOへ
また新しく信頼が築けるように試行錯誤中
目次
居場所がわからなかったIT業界で、プロジェクトマネジメントという道を見つけた
────SHIFTに転職されたのは、27歳のとき。その若さでプロジェクトマネジメントに振り切れたのには驚きました。ずばり、理由はなんだったのでしょう?
いちエンジニアとしてキャリアをスタートした、前職での経験が関係しています。IT業界に入ったのはいいものの、あまり自分に適した仕事ではないと感じていたんです。
そんなとき上司が、私のコミュニケーション能力を活かし、IT業界のなかでもプロジェクトマネジメントという道もあるのだと示してくれたことがきっかけの一つでした。
もう一つは、一度PMに抜擢していただき、結果を残すことができた成功体験があったから。人員不足で、急遽新たなリーダーを立てなければならなかったプロジェクトがあり、私に白羽の矢が立ったのです。
「ベテランエンジニアには開発に徹してもらい、あなたが調整役に回ったほうが、このプロジェクトはうまくいくはず」と。
上司のフォローもあり、プロジェクトは見事成功。これが自分のなかでプロジェクトマネジメントに振り切る決心がついた、大きな一歩でしたね。
他のプロジェクトにも関わるようになり、開発者とお客様は、話す言語がまったく別世界のものだと思うほど、コミュニケーションが円滑に進まない場面を、何度も目の当たりにしました。
自分だったらその間を埋めるような仕事ができるのではないかと、次第に考えるように。システムと向き合っているより、人と向き合っている自分の方が好きだったんです。
────前職でキャリアを積まず、SHIFTへの転職を決めた理由は何だったのでしょう。
残念ながら前職では、前述の人員不足による緊急事態でないと、プロジェクトマネジメントのキャリアをすぐに積むことが難しいとわかったからです。
しかし転職活動をしようにも、プロジェクトマネジメント経験が浅い私が「その道を志したい」といっても、門前払いされることが多く、苦労しました。
そんななか挑戦を歓迎するカルチャーのあるSHIFTは私の話を受け止め、チャンスの場を与えてくれたのです。従業員のポテンシャルを大事にしてくれる会社なのだと感じる、印象的な出来事でした。
また、SHIFTの評価制度は職級が職種別に20段階あり、さらにそのなかのレベルが10段階に細分化されていました。それぞれの職級に定量的な指標が明示されており、相対的に動くことがない評価制度の存在に感動し、入社を決めましたね。
最短距離で信頼を勝ち得るために、私は通説の逆をいく
────20代後半でPMOにつくと、若さゆえに苦労する場面などはありませんか。もしそうした逆境があれば、どう乗り越えてきたか教えてください。
見た目の若さや経験の浅さから、信頼をすぐには得られないこともあります。でも、私も逆の立場だったら同じ目線で見てしまっていたかもしれません。
特にIT業界はプロジェクト単位で動くことがつねですから、どんなに知識や経験を積んでも、数ヶ月後にはまた新しい環境に、なんてこともザラ。毎回、心のながヒリヒリするような感覚でプロジェクトに臨んでいます。
そんななか、私が自分に課しているのは、「3日、3週間、3ヶ月」の区切り。
3日でプロジェクトメンバーに顔と名前を覚えてもらい、3週間で自ら発言する。そして3ヶ月以内に何か結果を出す、というもの。とにかく私はプロジェクトの一員であり、欠かせない存在であると、チームに認めてもらうことを意識しています。
その意識をもつきっかけとなったのは、過去に経験したとあるDX推進プロジェクトです。なんと、私がジョインした時点ですでに1ヶ月半の遅延が発生していて・・・。立場上、お客様からお叱りを受けることもあり、波乱のスタートでしたね。
そこでは、とにかく短期集中で成果を出しつづけるサイクルをまわすことに注力。信頼を勝ち取る手段がほかにないと思ったからです。プロジェクトの中心に立って、お客様にも、常駐先のメンバーにも誠実に向き合いつづけました。
嘘偽りなく進捗報告を行うことはもちろん、必要情報の閲覧権限を得るために調整するなど。知見がない部分はエンジニアと毎日会議をして、教えてもらいながら自分でも勉強をする……。
小さな成果を出しつづけ、ビハインドを取り戻し、ようやくオンスケにしたとき。はじめて認めてもらえたような気がしました。
最終的にお客様から「もう一度契約したいから、いつでも連絡してほしい」といっていただきました。もうこれ以上ない、最大の誉め言葉でした。
本来ならば信頼とは、時間をかけてゆっくり育んでいくもの。その考えをよい意味で否定して、とにかく最短距離で信頼を獲得する。その過程で積み上げた思考や行動がいまの私を支えてくれています。
どんなプロジェクトでも、この「信頼」を得るまでが、毎回苦しいところです。はやく「Nさんがいうのだったら」といっていただけるような存在になりたいですね。
遠慮との決別。プロアクティブな私でいるために
────プロジェクトマネジメントのキャリアを積むために、努力していることは何ですか。
知ったかぶりをしない。わからないことは素直に聞き、自分の「できない・知らない」を少しでも減らすよう努めています。
かつて右も左も分からなかったころ、メガバンクの海外送金用のシステム開発のプロジェクトに、PMO支援としてアサインしていただきました。銀行の知識もなければ、システムの知識もない。まして英語が飛び交うプロジェクトなのに、私は英語ができない……。
そんな環境で1日でもわからなかったことを放置すると、次の日に倍以上苦しむことになると、入ってすぐ気づいたんです(笑)。迷惑かなと思って不明点を聞けずにいたけれど、このままじゃ私、3ヶ月後にここにいられないな、と。
だから「配慮は必要、遠慮は不要」という考えを胸に、どんなプロジェクトでも必死に食らいついていく姿勢を忘れないようにしています。
────今後チャレンジしたいと考えていることはありますか。
目標としては、30代半ばまでにプロジェクトを1つ任せられるまでにはなりたいです。そのために現時点でリーダーである諸先輩方の動きをよく観察するようにしています。
他には、IT未経験のメンバーが徐々に増えてきているので、後進を育成する文化を築けるように何かできないかなと考えています。
自分の背中を見せることで、手をあげたらやりたいことをやらせてもらえる環境だということを体現したいし、SHIFTで働くことがイキイキと楽しそうだと思ってもらえるようにしたいですね。
(※本記事の内容および取材対象者の所属は、取材当時のものです)